巻一 温庭均おんていいん

巻一 温庭均



花間集 巻一、温庭均、菩薩蠻十四首

1 温庭均おんていいん
(812頃―870以後)本名は岐、字は飛卿、?州(山西省大原)の人。初唐の宰相温彦博の子孫にあたるといわれる。年少のころから詩をよくしたが、素行がわるく頽廃遊蕩生活に耽り、歌樓妓館のところに出入して、艶麗な歌曲ばかりつくっていた。進士の試験にも落第をつづけ、官途につくこともできなかった。徐商が裏陽(湖北)の地方長官をしていたとき、採用されて巡官となり、ついで徐商が中央の高官(成通のはじめ尚書省に入る)になったので、さらに任用されようとしたが成らなかった。859年頃に詩名によって特に召されて登用され、国子(大学)助教となった。たが、叙任前に微行中の宣宗に無礼があって罷免され、晩年は流落して終わった。そのため、生歿が未詳である。

集に撞蘭集三巻、金墨集十巻、漢南其稿十巻があったという。かれは晩唐の詩人として李商隠と相並び、「温李」として名を知られている。音楽に精しく、鼓琴吹笛などを善くし、当時流行しつつあった詞の作家としても韋荘と相並んで「温韋」の称があった。その詞の大部分は趙崇祚の編した花間集に収載されている。洗練された綺麗な辞句をもちいた、桃李の花を見るような艶美な作風は花間集一派の詞人を代表するもので、「深美?約」と批評されているその印象的なうつくしさにおいてほ花間集中、及ぶものがないといってよく、韋荘の綺麗さとよい対照をなしている。王国維が花間集に収載する六十六首のほか他書に散見するものを合せて輯した金?詞一巻があり、七十首を伝えている。

〔一〕其一


花間集 全詩訳注解説(再)-1?庭?

 菩薩蛮十四首其一 
(またこの春も寵愛を受ける事は無かったが、毎日、そのことだけを思って化粧をして待つが、春が過ぎて衣替えの季節が来ても着物の詩集だけが番になっていると詠う。)

小山重疊金明滅,鬢雲欲度香顋雪。
屏風の小山が重なる前に寵愛を失った妃嬪は横たわる、蝋燭に揺らめきに妃嬪の体も明滅する。雲のような鬢は雪のように真っ白な頬の上にかかり渡っている。
懶起畫蛾眉。弄妝梳洗遲。

ものうげに起きだして眉をかき、お化粧をしながらも、髪を櫛で梳く手はゆっくりとしてすすまない、この人生、何もする気にならない。
照花前後鏡。花面交相映。
花のような顔を、前とうしろからあわせ鏡で照らす。うつくしい顔が二つの鏡にこもごも花が咲いたようにうつされている。
新帖繍羅襦。雙雙金鷓鴣。
季節が変わって新しく閨に張る薄いとばりがあり、鏡の所から立ち上がって、刺繍のうすぎぬの襦袢も新しく肌に合わせてみる。一ツガイずつ向かい合わせになった金の鷓鴣の紋様がぬいとりされている。

(菩薩蠻十四首其の一)
小山 重疊して 金 明滅,鬢の雲 度(わた)らんと欲(す)香顋の雪に。
懶げに起き 蛾眉を 畫く。妝を弄び 梳洗 遲し。
花を照らす 前後の 鏡。花面 交(こもご)も 相(あ)ひ映ず。
新たに帖りて 羅襦に綉りするは、雙雙 金の鷓鴣。



『菩薩蠻十四首其一』 現代語訳と訳註
(本文)

菩薩蛮十四首其一

小山重疊金明滅,鬢雲欲度香顋雪。
懶起畫蛾眉。弄妝梳洗遲。
照花前後鏡。花面交相映。
新帖?羅襦。雙雙金鷓鴣。


(下し文)
(菩薩蠻十四首其の一)
小山 重疊して 金 明滅,鬢の雲 度【わた】らんと欲す 香顋【こうさい】の雪に。
懶【ものう】げに起き 蛾眉を畫く。妝を弄び 梳洗 遲し。
花を照らす 前後の鏡。花面 交【こもご】も 相い映ず。
新たに帖りて 羅襦に綉る、雙雙たり 金の鷓鴣。


(現代語訳)
(またこの春も寵愛を受ける事は無かったが、毎日、そのことだけを思って化粧をして待つが、春が過ぎて衣替えの季節が来ても着物の詩集だけが番になっていると詠う。)

屏風の小山が重なる前に寵愛を失った妃嬪は横たわる、蝋燭に揺らめきに妃嬪の体も明滅する。雲のような鬢は雪のように真っ白な頬の上にかかり渡っている。
ものうげに起きだして眉をかき、お化粧をしながらも、髪を櫛で梳く手はゆっくりとしてすすまない、この人生、何もする気にならない。
花のような顔を、前とうしろからあわせ鏡で照らす。うつくしい顔が二つの鏡にこもごも花が咲いたようにうつされている。
季節が変わって新しく閨に張る薄いとばりがあり、鏡の所から立ち上がって、刺繍のうすぎぬの襦袢も新しく肌に合わせてみる。一ツガイずつ向かい合わせになった金の鷓鴣の紋様がぬいとりされている。


(訳注)
菩薩蠻十四首其一

(またこの春も寵愛を受ける事は無かったが、毎日、そのことだけを思って化粧をして待つが、春が過ぎて衣替えの季節が来ても着物の詩集だけが番になっていると詠う。)

・寵愛を失ったもののまだ若い妃嬪の朝化粧を描いたもの。126人もいる妃嬪に一回の子作りのチャンスは与えられればまだよいほうで、一度の寵愛の機会もないものもいた。
杜甫はかつて《観公孫大娘弟子舞剣器行井序》「先帝の侍女八千人」(「公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行」)と詠い、白居易もまた《長恨歌》」「後宮の佳麗三千人」と言った。これらは決して詩人の誇張ではなく、唐代の宮廷女性は、実際はこの数字をはるかに越えていた。唐の太宗の時、李百薬は上奏して「無用の宮人は、ややもすれば数万に達する」(『全唐文』巻一四二、李百薬「宮人を放つを請うの封事」)といった。『新唐書』の「官者伝」上に、「開元、天宝中、宮嬪はおおよそ四万に至る」と記されている。後者は唐代の宮廷女性の人数に関する最高の具体的な数字であり、まさに盛唐の風流天子玄宗皇帝時代のものである。宋代の人洪邁は、この時期は漢代以来、帝王の妃妾の数が最も多かった時代であるといっている(『容斎五筆』巻三「開元宮嬪」)。うまい具合に、この時期の女性の総人口は先に紹介した数字 − およそ二千六百余万であるから、四万余人とすれば、じつに全女性人口の六百分の一を占める。つまり、女性六百人ごとに一人が宮廷に入ったことになる。唐末になり、国土は荒れ、国勢は衰えたが、いぜんとして「六宮(後宮)の貴・賤の女性は一万人を減らない」(『資治通鑑』巻二七三、後唐の荘宗同光三年)という状態だった。この驚くべき数字の陰で、どのくらい多くの「曠夫怨女」(男やもめと未婚の老女)を造り出したことか計り知れない。唐末の詩人曹?が慨嘆して「天子 美女を好み、夫婦 双を成さず」(「捕漁謡」)と詠ったのも怪しむに足りない。

・花間集のトップに掲載。
・温庭:晩唐の大詞人。詩人でもある。花間集では彼の作品が一番多く、六十六首も採用されており、このことから花間鼻祖とも称されている。
唐の教坊の曲で花間集には四十一首所収、?庭?の菩薩蠻は十四首、双調 四十四字。前段二十四字四句二仄韻二平韻、後段四句二仄韻に平韻で、??DD/??DDの詞形をとる。
小山重疊金明滅,鬢雲欲度香顋雪。
懶起畫蛾眉。弄妝梳洗遲。
照花前後鏡。花面交相映。
新帖?羅襦。雙雙金鷓鴣。
●○△●○○●  ●○●●○○●
●●●△○  ●○○●○
●○○●●  ○●○△●
○●●○○  ○○○●○

小山重疊金明滅,鬢雲欲度香顋雪。
小山 重疊して 金 明滅,鬢の雲 度(わた)らんと欲(す)香顋の雪に。

屏風の小山が重なる前に寵愛を失った妃嬪は横たわる、蝋燭に揺らめきに妃嬪の体も明滅する。雲のような鬢は雪のように真っ白な頬の上にかかり渡っている。
・小山 屏風。小さな屏山、つまり屏風。後の句が、髪のことを云っているのだから、髷の形容である。唐代の女性の風俗である小山眉と小山の髪型が重なり合っている。その前の寝姿を小山ということも重なり合っている。寝ている女性の小さな山となっている。ここは屏風に描かれた山々が遠くの連峰で、手前に妃嬪の横たわった寝姿が一つの柄に苗う様子を「小山重疊」と表現したもの。

・重疊 幾重にも重なり合う。前の語の小山が屏風と見れば、幾重にも折れ曲がっている屏風のことである。
羅隱の『江南行』に「江煙雨蛟軟,漠漠小山眉黛淺。水國多愁又有情,夜槽壓酒銀船滿。細絲搖柳凝曉空,呉王臺春夢中。鴛鴦喚不起,平鋪告眠東風。西陵路邊月悄悄,油碧輕車蘇小小。」とある。
・金明滅 明滅は、きらきら、ぴかぴかとしている様子。朝が来て日が差し込んできて、金が陽光に倚り輝く様子であろう。艶めかしさをクローズアップさせる表現である。
・鬢雲 豊かな鬢、横の方に生えている髪。女性の豊かな髪の毛により、妖艶な雰囲気を出している。
・欲度 雲が流れて来、懸かろうとしている。寝乱れた髪が懸かってきていること。
・香顋 香しい女性のおとがい。香は、女性を暗示する語。顋は、あご。おとがい。
・雪 ゆき。女性の肌の白さ。


懶起畫蛾眉。弄妝梳洗遲。
ものうげに起きだして眉をかき、お化粧をしながらも、髪を櫛で梳く手はゆっくりとしてすすまない、この人生、何もする気にならない。
・懶起 けだるさの表現。ものうく起きる。物憂げにおきる。この表現で前日の性交の激しさを想像させる。
・畫 かく。えがく。文字以外のものをかくこと。ここでは黛で眉を画いていること。
・蛾眉 蛾の触覚のように、すんなりと伸びた女性の美しい眉の比喩。
・弄妝 妝=粧。化粧をする。
・梳洗 髪を梳り、顔を洗う。化粧をする。梳沐。
・遲 おそい。動きがゆっくりとしていること。この時代の男は夜明け前にはいない。一人でいることを表現することでエロチックなことを想像させる。


照花前後鏡。花面交相映。
花のような顔を、前とうしろからあわせ鏡で照らす。うつくしい顔が二つの鏡にこもごも花が咲いたようにうつされている。
照花 花は美しい女性の顔。照は「鏡に映す」という動詞。
前後鏡 合わせ鏡。
花面 花のように美しい女性の顔。
交相映 花面を美しい女性の顔が、前後の合わせ鏡にこもごも あい 映っている


新帖繍羅襦。雙雙金鷓鴣。
季節が変わって新しく閨に張る薄いとばりがあり、鏡の所から立ち上がって、刺繍のうすぎぬの襦袢も新しく肌に合わせてみる。一ツガイずつ向かい合わせになった金の鷓鴣の紋様がぬいとりされている。
 閨に張る薄いとばり。
 ぬいとる。ぬいとり。
羅襦  うすぎぬの着物。羅は、うすぎぬ。襦は、肌着。縫い取りのある肌着は痛くて心地悪いが見せる肌着を云う。頽廃を想像させる表現である。
雙雙 つがいに揃った様子をいう。そのようなのがいくつもあるときの表現。つがいになった鳥が、あちらこちらにいる様子。
鷓鴣 鳥の名。しゃこ。キジ科の鳥。ここでは、雙雙鷓鴣で、男女一緒になることを暗示しており、詞ぜんたいでは、懶起畫蛾眉でも暗示されるように、そのことが、叶わなくて、一人でいる女性の艶めいた寂しさを詠っている。